Nostalgia Symphony
けして比喩的な表現ではなく、文字通り生徒達が奏でる音楽で満ちあふれている星奏学院の敷地は夏休み中盤ともなると、セミの大合唱に取って代わられる。 いくら普段音楽に邁進している生徒達とはいえ、折角の高校の夏休みともなれば旅行に出かけたり帰省したりするからだろう。 とはいえ、今年も全国大会に駒を進めているオーケストラ部を始め、いくつかの部活はまだ活動があり、そういう生徒がいる限り、教師に休みはないのだ。 そんなわけで、実家が地元ということで夏休み真っ直中の日直の命が下ってしまった新米女性教師は人気のない音楽教官室で教材作りをしていた。 と、そこへトントンっと控えめなノック音が響いた。 「はい?」 「こんにちは〜・・・・あ、やっぱり先生だった!」 そ〜っと開いたドアの隙間から顔を覗かせた女子生徒を見て、先生と呼ばれた彼女は「ああ」と笑顔を見せた。 「小日向さん。今日も練習?」 「はい!今は休憩なんですけど、さっき響也から先生の姿を見たって聞いて、覗いちゃいました。」 そう言ってニコニコ笑う小日向かなでに、教師も笑ってクーラーの効いた教官室に招き入れた。 ヴァイオリンを学びたいと高二の一学期半ばという非常に中途半端な時期に転入してきたかなでと教師の付き合いはまだ二ヶ月程度しかないにもかかわらず、人なつっこいかなでは彼女によく懐いてくれていて、かわいい生徒の1人だ。 パタパタと足音をたてて近づいてきたかなでは、後ろ手に隠していた袋を差し出して言った。 「これ差し入れです。」 「ええ!?いいの?」 「ちょっと張り切って作り過ぎちゃったんで。」 そう言って恥ずかしそうに微笑むかなでから袋を受け取って中を覗けば、可愛らしいラッピングペーパーに包まれたスコーンが見え隠れしていた。 「スコーン?」 「はい。一応、プレーンとチョコを作ってみました。」 「相変わらずお料理上手なんだね。」 先生がそう笑うのは、夏休みに入ってからもかなでがこまめにお弁当持参で練習に来ている風景を何度か見ているからだ。 お料理上手と評判の彼女のお弁当を狙う男子生徒も多いと聞いている。 味の保障付きの手作り差し入れに、先生は袋越しに手を合わせた。 「ありがたくご相伴にあずかります。でも、もうすぐセミファイナルなんでしょ?」 練習は大丈夫?と言外ににじませて問うた途端、かなでの表情にさっと影が差した。 「何かあった?」 「・・・・はな、が」 ぽつんっとかなでが呟いた言葉に先生は首をかしげた。 「はな?」 「華がないって言われたんです。」 「華がない・・・・」 「・・・・神南の東金さんに。」 その名前に、思わず「ああ」と頷いてしまった。 「彼は華の固まりみたいな人だもんねえ。」 「あ、やっぱり先生もそう思います?」 「思うよ。こないだ初めてライブで弾いているのを聞いたけど、なんていうかこう・・・・大輪の薔薇がバーッと咲くイメージ?」 「わかります!そんな感じですよね!」 同意してもらったのが嬉しかったのか、かなではうんうんうん、と何度も頷いた。 けれど、すぐにまた萎れた顔になってしまう。 「でもその東金さんに、お前の演奏は花がないから相手にならないって・・・・」 「それで行き詰まってる?」 「はい・・・・」 はあ、とため息をついたかなでに先生は密かに納得した。 きっとかなではスコーンを口実に話を聞いて欲しかったのだろう。 自分でもなんとなく覚えのある行動に得心して、「良かったら少し座って」とかなでに椅子を勧めた。 「それで小日向さんはどんな風に考えてるの?」 「どんな風に?」 「華ってなんなのか、とか東金くんの事とか、なんでもいいわよ。」 そう言うとかなでは少し首を捻った。 そして。 「華・・・・は、まだよくわからないんですけど、東金さんの華は東金さん自身だなって。」 「それは?」 「東金さんが華って言ったのは演奏の華って事なんだと思うんですけど、東金さんの場合は東金さん自身が華みたいに思うんです。どこまでも艶やかで、強気で、人の目を惹き付けて・・・・」 ふむふむ、と頷いていた先生はここへ来て微妙に動きを止めた。 「先生?」 「あ、なんでもないの。・・・・ただ、ちょっと知り合いを思い出したというか・・・・」 「?」 「本当になんでもないから気にしないで。それで?」 「あ、はい。そういう人だから演奏も華やかなんだと思うんです。音を聴いた人みんなを惹き付けてしまうような。」 「ずいぶん高く評価してるのね。」 「すごい人だなと思ってますから。・・・・あ、でも」 そう言ってかなでは眉を寄せた。 「私の事、地味子とか呼ぶんです。」 「え?」 「演奏も女としても地味だから、地味子だって。」 「そ、それはまた」 世の中の女性を敵に回しそうな台詞だ、と思っているとむむむむっと眉間に皺を寄せていたかなでが急に先ほど渡したスコーンの袋に目を走らせて・・・・それから、とても複雑そうな顔で呟いた。 「・・・・それなのに、急に褒めたりして。」 それはとてもとても小さな声だった。 けれど。 (・・・・ああ、) その表情に、その感情には ―― 覚えがあった。 「やっかいな相手みたいね。」 ふふっと自然に漏れた笑みと共にそう言えば、かなではちょっと不思議そうな顔をして、けれどすぐに深々と頷いた。 「本当にやっかいな人なんです。」 と。 「―― どこまでも艶やかで、強気で、人の目を惹き付けて、か。」 かなでが練習を再開するといって教官室を出て行ってからしばし。 教材作りを再開していた教師は、ふと、さっきのかなでの言葉を口に乗せた。 おそらくは、かなで自身うっすらと自分の気持ちに気が付いているのだろう。 彼女の表情にあった、戸惑いと否定しきれない想いの欠片を思い出して、教師は何かを思い出すように呟く。 「やっかいな人、ね。」 1人だけの空間にその声が響いて消えた・・・・と思った、その時。 「誰が?」 「!?」 不意に第三者の声がふって湧いて、彼女はぎょっとして入口を振り返った。 そしてそこに立っていた人を見て、驚いたように目を見開いた。 「桐也くん!?」 「よお。ちゃんと仕事してるんだな。香穂子先生。」 からかうようにそう言われて教師 ―― こと、日野香穂子は顔をしかめた。 「からかわないでよ。」 「からかってなんかないぜ。さっきの、ちゃんと先生に見えた。」 「さっきって・・・・」 まさか、と桐也を見つめる香穂子の前まで余裕たっぷりに歩いてきた桐也は机の上におかれた、かなでからの差し入れを指さしてニッと笑った。 「生徒の相談にのる先生って感じだったぜ。」 「見てたの?」 「たまたま。あいつに先越されてさ。」 「?」 「来てみたら、ちょうどあいつが教官室に入ってくとこだったから、しょうがないから暁彦さんの所で時間つぶしてた。」 「理事長の?」 それはまた。 思いっきり迷惑そうな顔をした吉羅の顔が思い浮かんで香穂子は苦笑した。 けれどすぐにあれ、と首を捻る。 「暇つぶしって、理事長に用があったんじゃないの?」 「は?」 「だって桐也くんがわざわざ星奏まで来るなんて、理事長に用事だったんでしょ?」 それなのに暇つぶし?と問えば、桐也に思いっきり呆れた顔でため息をつかれてしまった。 「あのなあ、もういい加減わかってきてはいるけどさ、香穂子、鈍すぎ。」 「ええ!?」 「いい?俺は今、学生の全国大会の付き合いやら何やらで忙しいの。」 「うん、知ってる。」 「その合間を縫って、星奏まで来て、まっ先に教官室に顔を出したわけ。」 「うん?」 「その時点で最近まともに会えてない恋人に会いに来たって結論だせって。」 「う・・・・ええ、そうなの!?」 私に、わざわざ!?と目を丸くする香穂子に、桐也は笑ってしまった。 付き合い初めてもう何年もたつのに、香穂子のこういう所は一向にかわらない。 「香穂子はもう少し自信持つべきだと思うぜ。」 「どういう自信?」 「そりゃ」 ことん、と首をかしげる香穂子は、さっきまでかなでの相談に乗っていた先生の顔はどこへやら、まるで子どものような顔をしていて、そんな無防備な顔をむけられる事に桐也はくすぐったい気分になる。 それを誤魔化すように香穂子の頬に手を伸ばして指先で輪郭をなぞった。 そしてにっと笑って言ってやる。 「俺の中で優先順位の高いところにいるっていう自信。」 「!」 桐也の台詞に香穂子はぱっと顔を赤くした。 (い、いつもながら〜〜〜〜) 桐也がこういう性格だということは、誰よりもよく知っている香穂子ではあるけれど、知っているのと慣れるのは別問題だと思う。 桐也ときたら出会った頃から今までちっとも変わらず・・・・。 その時、ふっとさっきの会話が頭をよぎった。 (―― どこまでも艶やかで、強気で、人の目を惹き付けて) スコーンに目を走らせたかなでの顔が蘇る。 少し困ったような、どうしたらいいのかわからない、という顔。 ・・・・でも、見つめずにはいられない、そんな。 「―― ふふ」 「?何、笑ってんの?」 いつもの香穂子の反応と違ったせいだろう。 小さく笑った香穂子を桐也が怪訝そうに覗き混んでくる。 そのいつの間にか精悍になった顔に、初めて会った頃が重なって香穂子は口元に弧を描く。 「小日向さんのおかげでちょっと懐かしい事を思いだしたの。」 「あいつの?」 「そ。きっと私もあんな顔をしてたんだろうなって。」 「?」 どういう意味?と視線で問いかけてくる桐也を横目に香穂子は壁にかかった時計に視線を滑らせた。 就業時間までもう少しあるけれど、夏休み中と言う事もあって先輩教師からも少しくらい早く上がってもかまわないと言われている。 うん、と頷いて香穂子は席を立つ。 「香穂子?」 「今日の仕事はもうお終い。」 「?」 「紅茶入れるから、小日向さんにもらったスコーン、一緒に食べよう?」 きょとんっとした顔をしている桐也にそう言って、香穂子はスコーンの袋をもって給湯室へ向かう。 先生達の趣味で集められているようなバラバラのカップに、これまたバラバラの銘柄のティーバックを入れてお茶を入れて。 丁寧にナプキンに包んであるスコーンを取り出してお皿に乗せながら、香穂子はくすっと笑った。 (8年前、同じ様な人に恋をした子がいたって知ったら、小日向さんはなんて言うかな。) 華やかで自信たっぷりで、そんな桐也に惹かれた頃の自分を香穂子が思い出しているとそっと背中から抱きしめられた。 「!桐也くん!?ここ学校っ!」 「いいじゃん、仕事はお終いなんだろ?」 いきなりの接触にあわあわする香穂子の耳元で少しおかしそうにそう言って桐也は香穂子に回した手にきゅっと力を入れる。 そうされるとますます腕の中に埋もれるようになってしまって、香穂子は困ったように桐也を見上げた。 「お終いって言ったって場所は学校だよ。」 「いやなの?」 「・・・・その聞き方は卑怯。」 上目遣いに睨まれて桐也は口角を上げた。 そしてさっきの香穂子と同じ様に、何かを思い出すように小さく笑う。 「桐也くん?」 「いや・・・・あいつら見てたら思い出してさ。」 「?」 「香穂子の事、好きになった頃。」 「え!?」 驚いて目を丸くする香穂子に桐也はどこか遠くを見るように呟く。 「俺と大した繋がりもないのにわざわざ海岸通りまで来る変な奴って思ってたんだけどな。俺が好きなのかと思ってたら、学校ではよくわからない男達に囲まれてるし。」 「か、囲まれてるって、あれはアンサンブルで・・・・」 「それがわかってても何か面白くなかったんだ。そんな自分の気持ちもよくわからなかったし。なんなんだろう、変な奴って思ってるうちに・・・・気が付いたら振り回されてた。」 「・・・・なんか、それだと私がすごく変な子みたいじゃない。」 桐也の声があんまり優しく響くから、少しの照れ隠しも篭めてそう抗議すると桐也が楽しそうに笑った。 「そうかもな!」 「ひどっ!」 「だから、きっとあいつらも同じだぜ。」 「え?」 「地味子とか、華がないとか言いながら、気が付けば構ってるんだよ。で、きっと」 言葉をきって桐也は香穂子の額に小さなキスを落として。 「気が付いたら否定できないぐらい好きになってるんだ。」 「っ!」 東金とかなでに重ねた言葉はそのまま、過去の桐也の心情。 その甘い言葉と柔らかい視線に限界を超えたように香穂子は赤くなって、呻いた。 「ひ、久しぶりなんだから、もう少し手加減して〜〜〜。」 「無理だな。散々振り回された事、思い出しちゃったし。」 「え、ええ〜!?」 無自覚なんだから不可抗力!と抗議する香穂子の唇を、問答無用とばかりに軽いキスで桐也は塞ぐ。 そして、にっと笑って言った。 「俺に振り回される覚悟くらい、もう出来てるよな?香穂子?」 答えなど聞く気はないと言わんばかりに引き寄せられて、目を閉じる直前、視界の端にかなでのくれたスコーンが映る。 8年前の自分と被るような恋をしている少女。 (あなたも私も、大変な人に恋しちゃったみたいね。) 次にかなでが香穂子の元を訪れる時は恋愛相談になっているかもしれない。 その時は、8年前の話でもしてみようか、と思いながら。 ―― 香穂子にとって誰よりもどこまでも艶やかで、強気で、人の目を惹き付ける恋人を受け止めるべく、そっと目を閉じた・・・・。 〜 Fin 〜 |